会社売却を考え始めたとき、多くの方が最初に不安になるのが「数字(決算書)」です。
「うちの決算書、買い手に見せても大丈夫だろうか」
「税理士さんに任せきりで、正直よく分かっていない」
「役員貸付金や借入があるけど、何が問題になるの?」
こうしたモヤモヤは、とても自然なものです。会社売却では、買い手はあなたの会社の“実力”を数字から読み取ろうとします。だからこそ、ここで大切なのは「良く見せるために数字をいじること」ではありません。いまの状況を、きちんと説明できる状態に整えることです。
この「説明できる状態」を作るのが、この記事のテーマである会社売却のための財務整理です。財務整理というと難しそうに聞こえますが、やることはシンプルで、お金の動きや残高を“見える化”して、買い手が不安に感じるポイントを先回りして整理することです。
この記事では、決算書を完璧に作り直す話や、専門的なテクニックを並べる話はしません。代わりに、会社売却の準備として、まずどこから手を付ければよいかを、順番にわかりやすく整理します。
「まだ売ると決め切れていない」という段階でも大丈夫です。財務整理は、売却のためだけでなく、今の会社の状態を落ち着いて把握するためにも役立ちます。焦らず一つずつ、一緒に整えていきましょう。
まず知っておきたい「財務整理」のゴール
会社売却の準備でいう「財務整理」は、決算書を“きれいに作り直す”ことではありません。ゴールはシンプルで、買い手から見て「この会社の実力が分かる」「不安が減る」状態に整えることです。
逆に言うと、数字が多少デコボコしていても、理由を説明できるなら大きな問題になりにくいこともあります。ここを最初に押さえておくと、やるべきことがぐっと見えやすくなります。
買い手が見ているのは「実態」と「再現性」
買い手は、あなたの会社の決算書を見て「今いくら儲かっているか」だけを知りたいわけではありません。より大事に見ているのは、次の2つです。
- 実態:数字が、現場の状態や取引の実情とつながっているか
- 再現性:この利益や売上は、来期以降も続きそうか
たとえば、たまたま大きな案件が入って利益が跳ねた年があっても、買い手が知りたいのは「それは毎年起きるのか?」「起きないなら、通常はどれくらいなのか?」という点です。だから財務整理では、“一回限りの要素”と“普段の稼ぐ力”を分けて見えるようにすることがとても大切になります。
また、売上や利益だけではなく、売掛金の回収状況、在庫の状態、借入の条件なども含めて、数字の裏にある現実を確認されます。ここが整理されているほど、買い手は安心して検討しやすくなります。
「良く見せる」より「説明できる」が強い
会社売却の準備というと、「利益を増やして見せたほうが高く売れるのでは」と考えたくなることがあります。ただ、ここで無理をすると、後から説明がつかず、かえって不利になることもあります。
大切なのは、“きれいな数字”ではなく“納得できる数字”です。買い手は、数字が高いか低いかよりも、その数字が何を意味しているのかを理解できるかを重視します。
- なぜ利益が増えたのか(または減ったのか)
- どの費用が一時的で、どれが毎年必要なのか
- 借入や支払いが、今後の経営を圧迫しないか
こうした点を落ち着いて説明できる状態があると、買い手側の疑問が減り、やり取りもスムーズになります。結果として、交渉が長引きにくくなったり、変に疑われるリスクが下がったりします。
財務整理でやる範囲・やらない範囲(無理な加工はしない)
ここで、財務整理の「やること」と「やらないこと」をはっきりさせておきます。これを決めておくと、準備が必要以上に重たくなりません。
財務整理でやること
- 数字の中身を分かる形にする:どこで何が起きているかを整理する
- 一時的な要素を切り分ける:毎年の実力が見えるようにする
- 説明材料をそろえる:「なぜそうなっているか」を言葉で補えるようにする
- 不安になりやすい点を先に整える:回収・在庫・借入・個人とのお金の動きなど
財務整理でやらないこと
- 数字を無理に作り変える:後から説明がつかない加工はしない
- 表面だけ整える:見せ方だけ変えて実態が追いつかないことはしない
- 完璧を目指して止まる:「説明できる状態」を超えて、準備で疲れ切らない
まとめると、財務整理のゴールは「会社の実態が伝わり、買い手が将来を想像できる状態」です。無理に飾る必要はありません。むしろ、正直に、分かりやすく、筋の通る形に整えることが、結果としていちばん強い準備になります。
最初にやる“現状の棚卸し”(ここで迷いが減る)
財務整理は、いきなり細かい科目や書類を整え始めると、途中で迷いやすくなります。だから最初は、「今の数字がどんな状態か」を一度まるごと見渡すところから始めるのがおすすめです。
ここでやるのは、完璧な分析ではありません。目的は、どこが大事で、どこに説明が必要そうかを見つけることです。これができるだけで、次の作業がぐっとラクになります。
直近3期のPL・BSを並べて、変化を見つける
まずは直近3期分の決算書を用意して、PL(損益)とBS(貸借)を並べて見ます。ここで大切なのは、数字の良し悪しを判断することではなく、「変化があるところ」を見つけることです。
たとえば、こんなポイントは“変化”として見つけやすいです。
- 売上が増えた/減った:その理由が一言で説明できるか
- 粗利率が変わった:値上げ・原価・外注比率など、何が動いたか
- 販管費が増えた:人件費・広告費・地代家賃など、増減の背景があるか
- 利益がブレている:一時的な要因(特別な案件・一回限りの費用)がないか
- 売掛金・在庫・借入が増減している:運転資金の使い方が変わっていないか
この段階では、計算をやり直す必要はありません。「去年と比べて大きく動いている科目はどれ?」という目で、ざっくり当たりをつければOKです。
会社と社長個人のお金の出入りを分けて書き出す
次にやっておきたいのが、会社のお金と、社長個人のお金が混ざっていないかの確認です。ここが整理されるだけで、説明がとてもスムーズになります。
難しく考えず、まずは「会社から出ていった(または入ってきた)お金のうち、社長個人に関係しそうなもの」をメモで書き出します。たとえば以下のようなものです。
- 会社→社長:立替精算、役員貸付、個人カードの利用、社宅関連の支払いなど
- 社長→会社:資金の立替、役員借入、急な支払いの肩代わりなど
ポイントは、ここで「良い/悪い」を決めないことです。実務上よくあることですし、事情も会社ごとに違います。大切なのは、“何があるか”を見える化しておくことです。
可能なら、次の3点だけでも一緒に書いておくと、あとで困りません。
- いつ頃:だいたいの時期(年や月)
- いくら:金額の目安(正確でなくてもOK)
- なぜ:背景(立替・緊急対応・一時的など)
気になる数字に「理由メモ」を付ける(仮でもOK)
最後に、最初に見つけた“変化”や“混ざり”に対して、理由メモを付けます。ここができると、財務整理が一気に進みやすくなります。
このメモは、きれいな文章である必要はありません。仮説でOKです。たとえば、こんな感じで十分です。
- 売上増:「大口の紹介が増えた」「新商品が当たった」
- 利益減:「採用強化で人件費が増えた」「設備投資の関連費用が増えた」
- 外注費増:「忙しい時期のスポット対応」「内製→外注に切替」
- 売掛金増:「入金サイトが長い取引先が増えた」「期末に大型案件が重なった」
- 借入増:「運転資金の確保」「新規出店(または設備更新)」
「たぶんこうだと思う」というメモがあるだけで、あとから税理士さんや関係者に確認しやすくなりますし、資料を探す優先順位も付けやすくなります。
この“現状の棚卸し”で目指すのは、完璧な答えではなく、迷わず次に進める地図を作ることです。大きく動いた数字/混ざりやすいお金/理由が言えないところが見えてきたら、この章はひとまず合格です。
利益をわかりやすくする(PLの整理)
PL(損益計算書)の整理で大切なのは、利益を“盛る”ことではありません。買い手にとって分かりやすい形にして、「この会社は普段どれくらい稼げているのか」を伝えられる状態に整えることです。
そのために意識したいのは、数字を1円単位で完璧にすることよりも、利益の中身を説明できるようにすることです。ここが整うと、話が早くなりますし、余計な疑いも生まれにくくなります。
一時的な売上・費用を分ける(毎年起きないものを見える化)
PLを見たときに買い手が気にするのは、「この利益は来年も出そうか?」です。だからまずは、毎年起きない売上・費用を分けて見えるようにします。
“一時的”になりやすいものは、たとえば次のようなものです。
- たまたま入った大口案件:特殊な紹介、スポット案件、単発の大型受注
- 一回限りの助成金・補助金など:入金の有無で利益が動くもの
- 設備の入替や移転などの費用:普段はかからない支出
- 退職金・採用費など:タイミングで大きく増えることがある費用
- 修繕・トラブル対応:突発的な支出
ここでのコツは、「これは毎年起きますか?」と自分に聞いてみることです。もし「今年だけかも」と思うものがあれば、金額の大小に関わらずメモを付けておくと安心です。
こうして“毎年の実力”と“たまたまの要素”が分かれてくると、買い手にも説明がしやすくなり、話が前に進みやすくなります。
役員報酬・福利厚生・交際費などの考え方を整える
次に、買い手が確認しやすいのが、役員報酬・福利厚生・交際費のあたりです。ここは会社ごとに方針が違い、数字の見え方にも影響します。だからこそ、「どういう考えでこうしているか」を整えておくと強いです。
たとえば、次のような整理ができていると分かりやすいです。
- 役員報酬:「生活費も含めている」「会社の状況に合わせて抑えている」など、背景を言葉にする
- 福利厚生:誰のために、何を、どんなルールで使っているか(社員向け/役員向けの区別も含める)
- 交際費:営業上必要な支出なのか、頻度や目的が説明できるか
ここで大事なのは、“やっていること”そのものより、説明の筋が通っていることです。買い手は「この支出は今後も続くのか」「会社として必要なものか」を見たいので、方針が言える状態にしておくと安心してもらいやすくなります。
もし、プライベートに近い支出が混ざっていそうな場合は、まずは事実を把握して、「どこが該当しそうか」だけでも整理しておくと、後で慌てずに済みます。
原価・外注費・人件費など「増減の理由」を言葉にしておく
PLで買い手がもう一段深く見てくるのが、原価・外注費・人件費など、事業の“体質”に関わる部分です。ここは数字だけ見ても分からないので、増えた/減った理由を言葉にしておくことがとても効きます。
理由づけは、立派な文章でなくて大丈夫です。むしろ、短いメモのほうが使いやすいです。たとえば次のような形です。
- 原価が上がった:「仕入れ単価が上がった」「材料が変わった」「歩留まりが落ちた」
- 外注費が増えた:「繁忙期対応」「専門工程を外に出した」「内製メンバーが退職した」
- 人件費が増えた:「採用した」「昇給した」「残業が増えた」「社会保険の負担が増えた」
- 販管費が増えた:「広告を強化した」「新しい拠点を作った」「システム投資をした」
こうしたメモがあると、買い手に聞かれたときに慌てずに済みますし、説明が短く済みます。何より、「この数字にはちゃんと理由がある」という安心感につながります。
PLの整理は、結局のところ「利益をきれいに見せる作業」ではなく、「利益の中身を伝える準備」です。一時的な要素を分ける、支出の考え方を言葉にする、増減理由をメモで残す。この3つができれば、PLはぐっとわかりやすくなります。
資産と負債の“中身”を整える(BSの整理)
BS(貸借対照表)は、会社の「いま持っているもの」と「いま抱えているもの」を表します。会社売却の場面では、ここが整理されているほど、買い手は安心して検討できます。
といっても、BSを難しく読み解く必要はありません。この章でやることはシンプルで、数字の“中身”が説明できる状態に整えることです。特に見られやすいのが、売掛金(未収)・在庫・借入の3つです。
売掛金・未収入金:回収見込みと滞留の洗い出し
売掛金や未収入金は「将来入ってくるはずのお金」です。ただし、買い手が気にするのは「本当に入ってくるのか」という点です。そこでまずは、回収できそうなものと、動きが止まっているものを分けます。
やり方は難しくありません。売掛金・未収入金を一覧にして、古いものから順に見ていきます。次のように分類できると分かりやすいです。
- 通常の回収:入金サイトどおりで、問題なく入ってくる見込み
- 少し遅れている:理由が分かっていて、回収の見込みがある
- 滞留している:長期間動きがなく、回収の見通しが立ちにくい
ここで大切なのは、滞留があること自体を隠すことではなく、状況が分かるようにしておくことです。買い手に聞かれたときに、次の3点が言えるだけで安心感が変わります。
- なぜ遅れているのか(事情):請求ミス、検収待ち、取引先の都合など
- 回収の見込み:いつ頃入る予定か、交渉状況はどうか
- 対応方針:督促、相殺、分割、場合によっては処理方針
一言でまとめると、「売掛金の中身が新しい・古いで分かれていて、古いものは理由が言える」状態を目指すと良いです。
在庫:棚卸の精度、滞留在庫、評価ルールの確認
在庫がある業種では、在庫の整理がとても大切です。買い手は在庫の金額そのもの以上に、「その在庫は売れるのか」「数字が信頼できるのか」を見ています。
まず確認したいのは、棚卸がきちんと実態に近い形で行われているかです。例えば、次のような点です。
- 棚卸のタイミング:期末に現物を確認しているか
- 数え方:担当者や手順が決まっているか
- 記録:棚卸表や根拠が残っているか
次に見たいのが、滞留在庫(動きが鈍い在庫)です。これは「ある」ことが問題というより、どれが滞留で、どう扱うかが整理されているかが大事です。
- 長く動いていない在庫:何カ月(何年)動いていないかが分かる
- 理由:型落ち、仕様変更、需要減など
- 対応:値引き販売、廃棄、別用途への転用など方針がある
最後に、在庫の評価ルールも確認しておきます。ここは専門的に深掘りしすぎる必要はありませんが、少なくとも「どういう考えで金額が付いているか」を説明できると安心です。
まとめると、在庫は「数が合っている」と「売れる見込みがある」、そして「金額の付け方がブレていない」がポイントです。
借入金:残高だけでなく、条件・返済・担保保証を一覧にする
借入金は、買い手が必ず確認する項目です。ここで大切なのは、借入残高を伝えることだけではありません。買い手が知りたいのは、「どんな条件で借りていて、今後どんな負担があるか」です。
そこでおすすめなのが、借入を1枚で一覧にすることです。細かい資料を揃える前に、まずは表でまとめるだけでも十分価値があります。項目としては、次が入っていると分かりやすいです。
- 借入先:金融機関名など
- 残高:いま残っている金額
- 借入の目的:運転資金/設備資金など
- 返済条件:毎月返済額、返済期限(完済予定)
- 金利:固定か変動かも含めて
- 担保・保証:担保の有無、代表者保証の有無(分かる範囲で)
ここで特に重要なのが、担保や保証の有無です。買い手から見ると、これが見えないままだと不安になります。逆に、最初から整理されていると、話が早く進みやすくなります。
BSの整理は、言い換えると「資産はちゃんとお金になりそうか」「負債はどれくらい負担になるか」を分かる形にする作業です。売掛金・在庫・借入を中心に、中身が説明できる状態を作っておくと、買い手の不安が減り、やり取りもスムーズになります。
「見えにくいお金の流れ」を整える(資金繰り・入出金)
決算書の利益が出ていても、「なぜか手元にお金が残らない」と感じることは珍しくありません。これは、利益と現金の動きが一致しない場面があるからです。
会社売却の準備でここを整える目的は、キャッシュを無理に増やすことではありません。いちばん大切なのは、お金の流れを見える化して、買い手が不安に感じるポイントを減らすことです。
資金繰りや入出金が整理されていると、買い手側は「この会社は日々のお金の管理ができている」「急な資金ショートの心配が少ない」と判断しやすくなります。
月次の入出金をざっくり見える化する(まずは1枚で)
最初にやることは、難しい資金繰り表を作ることではありません。まずは「毎月、何が入ってきて、何が出ていくか」を1枚でざっくり見えるようにします。
おすすめは、直近6〜12か月くらいを対象にして、月ごとに次の項目だけを書き出す方法です。
- 入金:売上の入金(大きい取引先があるなら別で)
- 出金:人件費、家賃、仕入・外注、広告などの主要な支払い
- 借入の返済:毎月いくら返しているか
- 税金・社会保険:支払いがある月は金額も
- 月末残高:預金残高(ざっくりでもOK)
ここでのポイントは、完璧さより「見えること」です。細かい科目はあとでいくらでも整えられます。まずは、月末残高がどう動いているかが見えるだけでも、資金繰りのクセがつかめます。
もし複数口座がある場合は、最初はメイン口座だけでも構いません。全体が見えないことが一番のストレスになるので、まずは小さく作って、早く見える状態にするのがコツです。
税金・社会保険・支払サイトの遅れをなくす
資金繰りで買い手が特に気にするのは、「支払いに遅れがないか」です。遅れがあると、金額が小さくても「管理が不安定なのでは」と見られやすくなります。
ここで確認したいのは、大きく3つです。
- 税金:法人税・消費税・住民税などの納付が遅れていないか
- 社会保険:保険料の支払いが滞っていないか
- 支払サイト:仕入先や外注先への支払いが延びていないか
もし遅れがある場合は、「なぜ遅れたか」も含めて整理しておくと安心です。例えば、一時的な資金繰りの波や入金のズレなど、背景があることも多いからです。
また、遅れそのものをゼロにできない時期があるなら、せめて「いつまでに解消するか」を決めて、説明できる状態にしておくことが重要です。買い手にとっては、「隠されている」ことが一番の不安になります。
キャッシュを増やすより「不安を減らす」整理の考え方
資金繰りの整理というと、「現金を増やさなきゃ」と身構えてしまうかもしれません。でも、会社売却の準備として優先したいのは、キャッシュを増やすことより、資金面の“読めなさ”を減らすことです。
不安が生まれやすいのは、次のような状態です。
- 月末残高が、なぜ増減しているか分からない
- 大きな支払い(税金・賞与・更新費用)が、直前になって慌てる
- 入金タイミングが読めず、支払いを先延ばしにしてしまう
これを解消するために有効なのが、「先に決まっている支払い」を予定として置いておくことです。税金や社会保険、借入返済、家賃、人件費など、毎月または定期的に出ていくものは、ある程度読めます。
そして、売上入金も「主要な取引先はいつ入るか」を押さえておくと、見通しが立ちます。こうした見通しがあるだけで、資金繰りの不安は大きく減ります。
まとめると、この章で目指すのは「お金の流れが1枚で見える」「支払いの遅れがない(または説明できる)」「先の見通しが立つ」状態です。無理に背伸びをする必要はありません。不安を減らす整理を積み重ねることが、会社売却の準備としていちばん効いてきます。
個人・関係者との取引を整理する(トラブルの芽を減らす)
会社の数字を整えるとき、意外と見落とされがちなのが「社長個人」や「関係者」との取引です。ここが曖昧なままだと、売却の検討が進んだタイミングで質問が増えたり、確認に時間がかかったりして、話が止まりやすくなります。
ただし、ここで言いたいのは「個人とのやり取りがある=悪い」という話ではありません。中小企業ではよくあることです。大切なのは、何がどれだけあって、どういう経緯なのかを説明できる状態にしておくことです。これができるだけで、トラブルの芽はかなり減ります。
役員貸付金・役員借入金:残高と経緯をまとめる
まず整理したいのが、役員貸付金・役員借入金です。ざっくり言うと、
- 役員貸付金:会社から社長(役員)にお金が出ている状態
- 役員借入金:社長(役員)から会社にお金が入っている状態
買い手が気にするのは、「いま残高はいくらで、なぜそうなっているのか」です。ここを説明できるように、次の3点をセットでまとめておくと安心です。
- 残高:現時点でいくらあるか(決算書の残高でOK)
- 経緯:いつ頃、どんな理由で発生したか(ざっくりでOK)
- 現状:返済(または精算)の見込みや方針があるか
この段階で、完璧な返済計画まで作り込む必要はありません。まずは、「何が起きているか」を言葉にできることが大切です。経緯がはっきりしない場合でも、「過去の立替が積み上がった可能性がある」など、分かる範囲でメモしておくと後で整理しやすくなります。
社長個人名義の契約や資産がないかを洗い出す
次に、会社の事業に関わるものが社長個人名義になっていないかを確認します。ここが混ざっていると、売却の場面で「それは会社に含まれるのか?」という話になりやすいからです。
洗い出しの対象は、次のようなものです。
- 不動産:事務所・店舗・倉庫など(会社が使っているが個人所有)
- 車両:事業で使っている車が個人名義になっている
- 保険:契約者や受取人が個人になっている
- 主要な契約:賃貸借契約、リース契約、通信回線、システム契約など
- 知的な資産:ドメイン、アカウント、商標などが個人で管理されている
ここでやることは、「名義を今すぐ全部変える」ではありません。まずは、会社で使っているのに個人名義のものが何かを把握することが先です。
そして、洗い出したら、次の2点だけでもメモしておくと十分です。
- 何が:契約名・資産名
- どう使っているか:事業に必須か、代替できるか
これだけでも、あとで話が進めやすくなります。
関連当事者取引(家賃・業務委託など)の契約を整える
最後に、社長や親族、関係会社などとの取引(関連当事者取引)を整理します。よくあるのは、
- 家賃:社長個人が所有する物件を会社が借りている
- 業務委託:親族や関係者に業務を依頼している
- 取引:関係会社から仕入れている/外注している
買い手が見たいのは、ここが「口約束ではなく、最低限の形になっているか」です。なぜなら、売却後も同じ条件で続けられるのか、条件が不利に変更されないか、という不安につながるからです。
そこで整えておきたいポイントは、次の3つです。
- 契約の有無:契約書があるか(なければ、どんな内容かをメモでも可)
- 条件:金額、支払条件、期間、更新の考え方
- 妥当性:社内で説明できる理由があるか(相場とかけ離れていないか)
ここでも重要なのは、完璧さより説明できる状態です。契約書が手元にない場合は、まずは「誰に」「何を」「いくらで」「どんな頻度で」を1枚にまとめるだけでも、整理としては十分役に立ちます。
この章のまとめです。個人・関係者との取引は、隠したくなるというより、単純に「普段当たり前すぎて整理していない」ことが多い部分です。だからこそ、先に整えておくと強いです。残高と経緯が言える、個人名義のものが把握できている、関係者との取引条件が説明できる。この3点がそろうだけで、トラブルの芽はぐっと減ります。
数字の信頼感を上げる(会計の運用を整える)
会社売却の準備では、「数字そのもの」だけでなく、その数字がどれだけ信頼できるかも見られます。数字にズレが出やすい会社ほど、追加の確認が増えたり、説明の手間が増えたりして、進みが遅くなりがちです。
ここで大切なのは、難しい仕組みを入れることではありません。目指したいのは、毎月の数字が安定して出てきて、同じルールで積み上がっている状態です。つまり、会計の「運用」を少し整えるだけで、数字の信頼感は大きく上がります。
月次決算は「早さ」より「遅れない」を目指す
月次決算というと、「翌月の早い時期に締めないとダメ」と思われがちですが、最初からそこまで完璧を目指す必要はありません。むしろ大事なのは、毎月きちんと出ることです。
たとえば、月次決算が2〜3か月遅れると、こういう困りごとが起きやすくなります。
- 今の利益が分からない:意思決定が勘頼りになる
- 資料を急に求められると慌てる:探し物が増える
- 数字の説明が後手に回る:記憶が薄れて理由が言いづらい
だから目標は、「速い月次」より「遅れない月次」です。例えば、まずは翌月末までに前月分がまとまるくらいでも十分価値があります。
そのために効果が出やすいのは、次のような小さな習慣です。
- 領収書・請求書を月ごとに集める日を決める
- 未処理が出やすいもの(クレカ・立替)だけ先に締める
- 「締めが遅れる原因」を一つずつ潰す
毎月の数字が出るようになると、買い手への説明もブレにくくなり、信頼感につながります。
勘定科目のブレを減らす(毎年違うをなくす)
次に整えたいのが、勘定科目(費用や収益の入れ先)のブレです。年ごとに科目が変わっていると、数字を比較しづらくなり、買い手からすると「この増減は実態なのか、分類の違いなのか」が分かりにくくなります。
ここも難しく考えず、まずはよく出てくる支出だけルールを決めるのがおすすめです。例えば、次のようなものです。
- 広告費・販売促進費:どこまでを広告に入れるか
- 外注費・業務委託費:人に払うお金の入れ先を揃える
- 消耗品費・雑費:何でも入れない(“雑費だらけ”を減らす)
- 会議費・交際費:使い分けの基準を決める
ポイントは、社内(または税理士さん)に対して、「こういうときはこの科目」という簡単な決め事を作ることです。立派なマニュアルはいりません。メモで十分です。
勘定科目のブレが減ると、年ごとの比較がしやすくなり、数字の変化=事業の変化として説明しやすくなります。
証憑・契約書の保管ルールを決める(探し物をゼロに)
会計の信頼感を支えるのは、最終的には「根拠(証憑)」です。証憑とは、領収書・請求書・発注書・納品書など、取引の証拠になる書類のことです。ここが整理されていると、確認が必要になったときにすぐ出せるため、やり取りが止まりません。
売却準備としておすすめなのは、探し物をしない仕組みを作ることです。コツは「完璧に整理」ではなく、迷わずたどり着けることです。
ルールはシンプルでOKです。例えば次のように決めます。
- 保管場所を一つに決める:紙ならファイル、データならフォルダ
- 月ごとに分ける:2025-01、2025-02のように統一
- 種類で分ける:請求書/領収書/契約書/借入関係など
- 契約書は別管理:更新・解約・重要条件が分かるようにする
さらに、契約書については、最低限「どこにあるか」が分かるだけでも大きな前進です。できれば、契約書ごとに
- 契約名
- 相手先
- 開始日/更新条件
- 金額や重要な条件
をメモしておくと、後から確認が必要になったときにすぐ動けます。
この章のまとめです。数字の信頼感は、特別なテクニックではなく、日々の運用で作られます。月次決算は「遅れない」、勘定科目は「ブレない」、証憑は「探さない」。この3つが整うだけで、買い手に対しても自分自身に対しても、数字がずっと扱いやすくなります。
進め方で失敗しないコツ(焦らず、でも止まらない)
財務整理は、「やろう」と思った瞬間から、やることが増えたように見えてしまいがちです。真面目な方ほど、完璧を目指して手が止まったり、逆に一気にやろうとして疲れてしまったりします。
ここで大切なのは、焦らず進めることと、止まらず進めることの両立です。つまり、やることを絞って、順番を守る。これだけで失敗しにくくなります。
優先順位の付け方(“影響が大きい順”で片づける)
優先順位は、「気になる順」ではなく、影響が大きい順でつけるのがおすすめです。影響が大きいとは、次のどちらかです。
- 金額が大きい:少しのズレでも説明が必要になりやすい
- 不安を呼びやすい:買い手が必ず確認したくなる
具体的には、次のようなものは優先度が上がりやすいです。
- 売掛金(未収)で古いもの:回収できるかどうかが気になる
- 在庫の滞留:本当に価値があるのかが気になる
- 借入の条件や保証:負担や条件が見えないと不安になる
- 役員貸付金・役員借入金:会社と個人が混ざっている印象になりやすい
- 大きく動いた費用:増減理由が言えないと疑問が残る
逆に、金額が小さくて、説明が簡単なものは後回しでも問題になりにくいです。まずは、「大きい」「不安が出やすい」から順に、1つずつ片づけていきましょう。
もし迷ったら、こう考えるとシンプルです。「買い手に最初に聞かれそうなものから手を付ける」。これだけで優先順位が決まりやすくなります。
やりがちな失敗(無理な節税、数字の作り込み、先送り)
財務整理でよくある失敗は、頑張りすぎる方向に出ることです。特に注意したいのは次の3つです。
- 無理な節税に走る
- 数字を作り込みすぎる
- 「いつかやる」で先送りする
無理な節税は、その場の手残りを守れるように見えても、後から説明が難しくなることがあります。たとえば、費用の積み方が不自然になったり、「普段の利益」が見えにくくなったりします。節税自体が悪いわけではありませんが、会社売却の準備という意味では、“説明しやすさ”が落ちるやり方は注意が必要です。
数字の作り込みも同じです。「良く見せよう」として手を入れるほど、後から確認が増えやすくなります。買い手が不安になるのは、数字が低いことよりも、数字の根拠が曖昧なことです。だから、財務整理の基本は“加工”ではなく“見える化”です。
そして一番もったいないのが先送りです。財務整理は、時間をかければかけるほど良くなるというより、「着手した瞬間からラクになる」タイプの準備です。後回しにすると、資料探しや確認が積み上がって、結局しんどくなります。
大事なのは、完璧を目指して止まるより、60点で進めることです。仮でもメモがあれば、次の一手が打てます。
相談に持っていくための「財務整理メモ」の作り方(要点だけ)
財務整理を自分だけで完結させようとすると、重たくなりがちです。そこでおすすめなのが、相談の場に持っていくための「財務整理メモ」を作ることです。これは立派な資料でなくて大丈夫で、要点だけでOKです。
メモの目的は、説明のすり合わせを早くすることです。形式は自由ですが、最低限、次の項目が入っていると話が進みやすくなります。
- 気になる点リスト(箇条書き):例)売掛金が増えた、外注費が急増、在庫が滞留など
- 理由メモ(仮でOK):例)大型案件の期ズレ、繁忙期のスポット外注、仕様変更で在庫が残ったなど
- 数字の規模感:例)「約300万円」「売掛金のうち古いものが100万円程度」などざっくりでOK
- 確認したいこと:例)役員貸付の扱い、在庫評価の考え方、借入の保証の整理など
ポイントは、“正しい答え”を書くことではなく、“相談の入口”を作ることです。分からないことは「分からない」と書いてOKです。むしろ、分からない点が明確だと、相談相手も動きやすくなります。
最後にもう一度まとめます。財務整理を進めるコツは、影響が大きい順に、無理な作り込みをせず、先送りせず、そして要点をメモにして相談へつなげることです。焦らなくて大丈夫です。ただ、止まらない形にしておくと、準備は確実に前に進みます。